スタンダールの恋

投稿者:

スタンダール(1783-1842)


スタンダールは「アンリ・ブリュラールの生涯」のなかで母親をいかに愛していたかを書いている。40代半ば、スタンダールは 男爵夫人アルベルト・ド・リュバンプレを「狂気のように愛した」。母親に対する愛と同じ性格のものだった。とのべている。
13歳のスタンダールは公演中の女優に片思いの恋をする。劇作家になり女優を恋人にする目標をもつ。スタンダールは太っていて短足で醜男だった。 本人も自覚していてコンプレックスを持っていた。1800年6月ナポレオン軍の遠征軍に編入ミラノに入る。スタンダールは到着早々、商売女と 接触。その結果性病をもらう。同僚が恋人アンジェラを紹介、彼女は人妻で23歳17歳のスタンダールは恋心を抱くが告白できない。その後も 思い続け11年後ついに彼女を獲得する。1801年故郷に帰ったスタンダールは同じ年齢のビクトリーヌに恋する。内気な彼は告白できす、発展しなかった。 翌年パリにでた彼は住居の下のルビュファン夫人のサロンがあった。14歳の娘に恋したがなんでもなかった。母親のほうがスタンダールに身を任せてしまった。 1804年スタンダール21歳、女優のメラニー・ギルベール24歳と知り合い翌年8月性交が成功。1806年3月別れる。1806年10月ナポレオン軍に参加 し将軍の娘ヘルミーネ・フォン・グリースハイムを知り求愛するが受け入れられず鬱憤を情婦で紛らす。パリに戻ると親戚のピエールの妻、アレクサンドリー ヌ・ダリュに恋心を抱きはじめる・スタンダールと同年生まれで六人の子供を持っていた。なかなか告白できなかったが、六年後告白したら断られる。 1809年ウィーンでバベット・ロッテという女優を愛人にした。半年で別れ1810年3歳したの歌手ジェリーヌ・ベレーテルを囲った。休暇をとって ミラノに行き、11年前知り合い、思い続けてきたアンジェラと再会し、ついに彼女をモノにする。1815年まで断続的に続いた。
1818年ミラノでマチルデ・デンボウスキーにあう。彼は「恋愛論」を彼女に呼んでもらうために書いたものだった。マチルデは彼より 七歳若く初めてであった時は26歳であった。17歳の時29歳の貴族と結婚し2児をもうけたが夫婦仲は良くなかった。彼女は夫と別居して ミラノに住んでいた。スタンダールはあの手この手で迫るが相手にされず、別れをつげミラノを去る。1824年愛人を手に入れる。5歳年下のクレマンチーヌ・キュリアル 夫人である。2年間続いたが夫人に新しい恋人ができて終わりを迎える。1827年1月26歳のジウリア・リニエリ・デ・ロッキに恋する。 1929年になるとアルベルト・ド・リュバンプレ夫人に対しても恋心をもつ。4ヵ月後彼女をものにするが、友達に寝とられる。その後ジウリアと 関係を持つが1833年ジウリアは愛する男と結婚。だがジウリアは結婚後もスタンダールと密会した。1834年51歳のスタンダールは縁談話があったがことわる。 やがてチニ伯爵夫人を知り、彼女に思いをよせ求愛するが断られる。1841年2月偏頭痛と一時的な失語症に見舞われる。3月脳卒中の発作で倒れる。数日生死の 境をさまようが復帰。7月画家フランソワ・ブーショの妻が訪ねてくると関係を持つ。1842年3月22日パリの歩道で倒れ23日早朝息を引きとる。
(参照:「結婚しなかった男たち」 北嶋廣敏–太陽企画出版)

返信を残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です