モーパッサンの恋

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モーパッサン(1850-1893)


長編小説「女の一生」を出版したギィ・ド・モーパッサンはたくさんの女性と性的関係をもち、性的にタフだった。1時間のうちに 六人の娼婦とセックスをしたという話もある。彼は仕事(執筆)し、旅をし、趣味のボートやヨット遊びも興じた。30歳「脂肪の魂」で 文壇にデビューし10年間に300編あまりの短編・中編・六編の長編、三巻の旅行記、一冊の詩集、ニ編の戯曲を43歳で亡くなるまでに書いた。
モーパッサンはたくさんの女性と関係をもったが生涯独身で通した。彼の父親も女好きで彼が10歳の時別居し(3年後正式離婚)母親と暮らす。
モーパッサンが始めて女性と性的関係を持ったのは神学校で寄宿生活を送っていた16歳の時、母の住んでいるエトルタの女友達。その後 パリからやってきた美人の娘と出会い、欲情にかられ詩を書き送りモーションをかけるが相手にされなっかった。若い彼は欲情を満足させる ために恋心関係なく女の追いかけそしていつでも彼の思いのままになった。
19歳でパリ大学に入学したモーパッサンはしばしば娼婦と情交を もつようになる。流行作家になると社交界の婦人たちと関係をもった。モーパッサンが関係をもった女性は1000人以上にのぼると言われている。 彼が関係を持った女性のほとんどが不明だが何人かはわかっている。8年続いた貴族の出身の美貌のマリー・カン、同性愛者であったジゼール・デストック、 アメリカの女流作家ブランシュ・ルーズヴェルト、ロシアの画家で作家のマリー・バシュキル、エマニュエラ・ボカト伯爵夫人、エルミール・ルコント・デュ・ノユイ 夫人。
モーパッサンは基本的には独身主義者だった。彼は23歳ごろ梅毒にかかりモーパッサンの肉体と神経は徐々に蝕まれ30代半ばなると 幻覚症状も呈するようになる。やがて、ペンをとることもできなくなり自殺を図るが失敗、精神病院に入院させられる。18ヵ月後彼は病院で 死を迎えた。
  (参照:「結婚しなかった男たち」 北嶋廣敏–太陽企画出版)

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