ダイアナ妃の愛と恋と結婚

投稿者:

ダイアナ妃(1961-1996)

ダイアナは1961年7月1日名門貴族スペンサー家のオールトラップ子爵夫妻の三女で生まれた。名門に生まれながら 母が愛人を作って家を出てしまい離婚。姉2人と弟の4人は心に深い傷を残す。1975年祖父のスペンサー伯爵が亡くなり、父が8代スペンサー 伯爵になった。その後まもなく父は再婚。相手は作家の娘で派手でけばけばしい身なりと派手な言動で、いつもゴシップ欄の常連だった。ダイアナ(4姉弟)たちは大反対で 何年間もものを言わなかった。
1977年6月スペンサー家に事件が起こる。長姉のセーラがチャールズ皇太子の恋人になった。間もなくふられる。 このころ17歳だったダイアナはロンドンでアルバイトをしながら料理学校に通っていた。当時からダイアナは王族と結婚したいという野心を 隠そうとしなかった。
1979年1月17歳のダイアナはサンドリンガム城で女王と同居している姉夫婦を初めて訪れ、王家の生活の素晴らしさに 魅せられてしまった。「宮殿で暮らせたら素敵でしょうね・・・」と友達につぶやいた。
1980年の夏、チャンスがやってきた。姉ジェーン の子供が生まれたのを機に彼女をモラル城に招待チャールズとあう。ダイアナは全身を駆使してチャールズを追いかけ気を引く努力をする。チャールズは遊び相手の 女には不自由してなかった。1980年9月母エリザベスも33歳のチャールズが1日でも早く身をかためてくれることを期待していた。 ダイアナの作戦が功を得て、皇太子のガールフレンドの座を手に入れる。18歳のダイアナはチャールズをじらしたり駆け引きがうまく皇太子は彼女の 虜になっていく。チャールズはダイアナとのデート用にジョージ王朝風の建物を購入、ここで密会。1980年9月8日マスコミがダイアナとのロマンス をすっぱ抜く。これを機にマスコミを味方に付け皇太子妃の座(1981年7月29日結婚式)を手に入れる。
ダイアナは結婚式後変貌していく。ダイアナは「妻は夫のどんなことにも口出す権利きがある」「夫を無理やり自分の言いなりにする」 などと思いチャールズを困らせる。チャールズは素直で愛らしい女の子と結婚したつもりだったが彼からすればトンでもない女だった。
1986年チャールズ皇太子は昔の恋人カミラ・パーカー・ボールズとの交際を復活。嫉妬に燃えるダイアナはカミラの家に無言電話をかけたりした。 このころから、ダイアナ自身のロマンスも噂される。1987年ダイアナはフィリップ・ダン(マーチャントバンク勤務)と不倫。もう一人、近衛騎兵連隊 に所属のジェームス・フューイット大尉。このころ皇太子夫婦は完全な別居生活に入っていた。ダイアナは喧嘩になれば大声でどなり合い、皇太子に 飛びかかっていくなど日常茶飯事だった」「チャールズが公務に出発しようとすると、ダイアナは机からナイフを取ってドアに急いでチャールズの前に はだかり、ナイフを振り回して、彼を殺して自分も死ぬ(自殺する気などさらさらない)とわめきちらした。
1991年結婚生活の危機がマスコミに噴出。1996年8月正式に離婚。8月31日パリ市内のアルマ橋下のトンネル内で恋人のドディ・アルファイド氏(41歳) と交通事故で死亡、35歳の若さでこの世を去る。
(参考:世界史悪女スキャンダル:桐生操著にちぶん文庫

返信を残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です