マリリン・モンローの愛と恋

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マリリン・モンロー(1926-1962)

マリリン・モンローは1926年6月1日ロサンゼルスで生まれる。彼女は私生児として生まれ父親を知らなかった。祖父母は精神病患者で母も精神不安定な女で男から男へ渡り歩いていた。マリリンが 6歳のとき母は精神病院に入れられてしまう。その後マリリンは11人もの里親のあいだをたらい回しにされた。彼女はまだ初潮もみない8歳のとき、下宿人の中年男に強姦されてしまう。16歳で最初の結婚をする。相手は ロッキード航空の行員。結婚後夫は第二次世界大戦で海軍基地に配属。その間マリリンは新車を買うためヌードモデルとなる。1947年夫と離婚し映画界に入るが下積みが続く。金のためコールガールまでした。
そんな彼女も前にハリウッドの実力者現れ1953年に「ナイアガラ」「紳士は金髪がお好き」「億万長者と結婚する方法」に続けて主演し人気スターになる。1954年マリリンは突然プロ野球のジョー・ディマジオと結婚。マリリンは 知的コンプレックスで芸術や文学にひかれていった。1954年二人は離婚、わずか9ヶ月の結婚生活だった。1956年(30歳)劇作家アーサー・ミラーと結婚、ミラーの収入は少なくマリリンの「召使い」となる。やがて睡眠薬中毒になり 「恋をしましょう」で競演したイブ・モンタンと不倫に走る。が短期で終わる。1961年(35歳)ついにミラーと離婚。
ジョン・F・ケネディとは大統領候補になったころ、パーティで知り合いその夜彼女とジョンはベットをともにする。その後、マリリンと人目を忍んでホテルで情事を重ねる。1961年1月、ジョンは大統領に就任。ジョンはマリリンと 別れるために弟のロバートを使うが、ロバートが彼女に夢中になる。そのころマリリンはメキシコで中絶をうけたがロバートの子だとも言われている。1962年8月4日ロバートがマリリンの自宅を訪れ最終的な別れを告げる。錯乱状態に なったマリリンは睡眠薬を多量に飲み、翌5日午前3時全裸死体で発見された。しかし、この死は多くの謎に満ちている。

(世界史・悪女巣チャンダル/桐生操著にちぶん文庫)

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