アンデルセンの恋

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アンデルセン(1805-1875)

「みにくいアヒルの子」の作者アンデルセンがこの童話を書いたのは30代の終わりで作家としての地位は安定した時の作で、彼の自伝 的作品。苦労して作家として世に認められ、白鳥になったが、恋愛においては白鳥になれず、恋した女性にはいずれも最終的に拒否され ている。
貧しい靴屋の一人息子として生まれたアンデルセンは有名になりたくて、歌手、舞踏(俳優)、劇作家と挑戦する。自分を売り込むのがうまく 後援者ができる。女性に恋するたびに結婚を考えるが、恋はどれひとつ実を結ぶことがなっかった。自伝や日記からみる限り、アンデルセンは その生涯において一度も女性と肉体関係をもったことがなかったようである。性的不能、ホモ・セクシュアリティでもなかった。
27歳の時に書いた自伝に「エーレンシェレーゲルの娘のロッテは(15歳)、もうすっかり成長して、大人っぽくなっていた。最高学年の生徒は、ほとんどが それまでに恋していた。私(20歳)もそろそろ恋する時期だ、と、ふと私は思った。私は思いを込めて、じっと彼女を見つめていた・私は、恋というものを してみたくてたまらなかった。でもできなかった」という記述があり、25歳の夏友達の姉リーボア・ヴォイクトに出会う。アンデルセンは いかに愛してるかを手紙に書き、詩に詠み、彼女に送る。が、恋は実ることはなかった。
次に後援者の娘に恋をする。内気な彼は面と向かって告白できず、手紙を書き愛を告白するが相手にされず、空振りに終わる。その後、アンデルセンは なんどか恋するがいずれも実のらず終わる。32歳のアンゼルセンは日記に「僕はもうけして結婚することはないだろう。僕のために成人して いる若い娘は、一人としていないのだ。ぼくはいよいよ独身者らしくなっていく。昨日は若者に属していたのに、今日はもはや老人なのだ」と 記している。35歳の時21歳の歌姫に会いその時は意識してなかったが、3年後再会したときに彼女を好きになり、アタックするが「お兄様」 以上の発展がなく片恋に終わる。
彼の恋愛には瀬極性がなく、面と向かって口説けなかった。詩人であり作家である彼の文章(手紙)は素晴らしい愛を表明しながら、相手を 目の前にすると、口ごもってしまい、男らしさがなっかった。
(参照:「結婚しなかった男たち」 北嶋廣敏–太陽企画出版)

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