若い女性が大好きだったピカソ!

投稿者:

ピカソ(1986-1973)
ピカソは18歳ごろ、パトゥラヴォワールの水汲み場で夫に捨てられた洗濯婦フェルナンド・オリエ(1904年ごろ)出会った。1909年 まで同棲、ピカソが悪態をつくので彼女はいつも腹立てていた。ある時、家出して持金全部使い果たして帰ってくるということを して逆らった。最終的にピカソに捨てられる。
次に友達の愛人マルセル・ウンベール(通称エヴァ)と同棲、外交的で商才に富 やり手であったが1916年に他界。1917年(31歳)ローマでロシア将軍の娘のオルガ・コクローヴァと親密な関係になり結婚を決意。オルガは野心家で 踊りの才能のないバレリーナだった。すでに金持ちだったピカソとロシア正教の教会で盛大な結婚式を挙げた。結婚して子供(パオロ)ができ10年、オルガは いちいちピカソの仕事に干渉するオルガの態度に嫌気がしていた。
そんなとき17歳のモデル娘マリイ・テレーズ・ワルテルと知り合う。 オルガは作品100点を持ち出し別居する。1935年マリイ・テレーズは娘マイアを産む。
ピカソはマリーが妊娠中に写真家のドラ・マールを 友達から紹介され彼女の虜になる。1936年中ごろ二人は度々逢瀬を楽しむようになっていった。ドラ・マールは同棲を拒否、一軒家を手に入れる。
1943年若い美術学生フランソワーズと会う。求婚1946年ピカソと暮らす。息子クロードと娘パロマを生む。パリから南フランスに移り ラ・カローワーズを手に入れる。彼女によって陶器造りを始める。フランソワーズはピカソとの関係が終わりに近いことを知ると作品を 金に変え家を出る。「2人の親なのに・・・」とピカソは怒る。
正妻オルガが死んで自由の身になると、1961年若い未亡人ジャクリーヌ はピカソの老後を慰めようと結婚。ジャクリーヌは莫大な遺産を相続した。
(参照:「ピカソの女たち」R.M-Nスティ 東珠 樹訳–美術公論者社)

返信を残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です