ボードレールの恋

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ボードレール(1821-1867)


ボードレールは1821年パリで生まれる。父は公爵家の家庭教師などを勤めた教育者(再婚62歳)、母カロリーヌ(初婚)は28歳だった。 1927年父他界。1928年ごろから母親は4歳上の陸軍少佐と交際、11月結婚。母親が大好きだった彼は、母親の再婚に深い絶望感を味わう 。大学時代の仕送りは遊興と服飾についやし、娼婦たちと交わりをもった。一人の娼婦サラをしり彼女を愛するようになる。彼の初恋で ある。親は息子のふしだらな生活を止めさせようとインドへ船旅させる。1841年6月カルカッタ行の船にのる。9ヶ月後パリに戻る。 娼婦サラとは旅後も続いたが新しい恋人ができると消滅していった。新しい恋人は小劇場の下っ端の黒人と白人の混血の女優ジャンヌであった。 まもなく二人は同棲をはじめる。同棲と別居を繰り返し約20年にわたって腐れ縁を続けた。ボードレーヌはジャンヌと出会ったころ 梅毒にかかっていた。治療したが治らず彼女も梅毒を感染させられた。その責任から彼女と別れられなったようだ。
1847年8月妖精劇「金髪の美女」の主演の女優マリー(6歳上)に恋心を抱き、一時結婚をも決意。だが、別な男を選び別れる。
ボードレールが愛したもう一人の女性、1922年生まれの銀行家の愛人であったサバチェ夫人。ボードレールは1852年末から匿名で1854年まで 手紙と詩を送り続けた。1857年6月、詩集「悪の花」が出版されたが、良俗を乱すものとして当局に押収され裁判にかけられる。 このとき裁判を有利にするためにサバチェ夫人に自分の名を明らかにし助力を依頼した。サバチェ夫人から
「お見かけした最初の日から、私はあなたのものっだったような気がします。お好きなように私を扱ってくださいませ。私は身も心も 、あげてあなたのものです」という手紙が来た。それから数日後二人は会い、一夜を過ごした。その後も親密な関係は保ち続けた。 ジャンヌとは相変わらず同棲と別居を繰り返していた。1866年激しいめまいに襲われよろめいて転倒半身不随となる。1867年8月31日、 かつて熱烈に愛した母の腕に抱かれて息を引き取った。

(参照:「結婚しなかった男たち」 北嶋廣敏–太陽企画出版)

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