ジョルジュ・サンドの恋と結婚

投稿者:

ジョルジュ・サンド(1804-1976)


母親はお針子だったが、軍の慰安婦になり、老将軍の囲い者となった。囲われているあいだに美貌の 青年将校モーリスに恋し同棲、3・4年同棲してジョルジェ(本名:オーロール・ディパン)を身ごもったのを機に結婚。父親のモーリスはジョルジェが4歳の時、落馬で 死亡、その後、ノアンに住む祖母に預けられ母親はパリに出て行く。14・5歳の時修道院に預けられる。16歳で祖母が亡くなると、母親の 住むパリにいくが、デュ・プレシ家にあずけられる。1822年デュ・プレシ家に出入りするカジミールと結婚。翌年男の子が生まれたが、夫婦 なかは良くなかった。1828年には女の子も生まれる。その頃交際していた男の子だと見る人もいる。子供は2人生まれたが夫婦仲は冷たく なるばかりで、夫はこうした妻の男達との交際を見て見ぬふりをするかわり、小間使いとの情事を楽しんだ。
1831年別居。生活費稼ぐため若い恋人だった学生のジュール・サンドーと共作で「ばら色と白」という小説を書く。その後、自力で小説を 書くようになる。
ジョルジェ・サンドの一生には恋人と言われた人は実に数多い。詩人のミュッセ、ショパン、メリメ、リスト、弁護士の ルイ・クリゾストム・ミッシェルや若いスイス人のシャルル・ディディエなど無数の情事相手がいたともいわれている。
1848年(44歳)にショパンと別れてから1876年の死ぬ30年間は彼女の恋愛に関する資料は残っていない。晩年はノアンの館で孫たちに 囲まれて穏やかに過ごしたらしい。
(参考:世界史の中の女性たち:三浦一郎著教養文庫)

返信を残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です