ルー・サロメの恋と結婚

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ルー・サロメ(1861-1937)

帝政ロシアの皇帝に仕える将軍の娘。哲学者ニーチェや詩人リルケなど大きな影響を与えた女性。 彼女を恋した男たちの多くが自殺したり、絶望のふちで死んでいった。恵まれた環境の中で贅沢三昧に育ったが、豪華なドレスも 宝石も興味がなかった。
17歳チューリッヒ大学に留学。しかし体をこわしローマに療養にいく。女権運動活動家の家でドイツ人の パウル・レーと知合う。レーが恋愛感情をもつと、ルーは「恋愛には興味がない」と言う。すっかり意気消沈したレーがかわいそうになり もう一人男を加えて3人の共同生活をルーが提案。レーは知り合ったばかりのニーチェを呼ぶ。この時、ニーチェ37歳、ルー21歳、レー 32歳だった。ニーチェはルーを見るなり一目ぼれ、プロポーズしたが彼もまたルーに結婚するきないと断られた。仕方なく3人一緒の 同棲生活に同意。1882年夏、ルーはニーチェの招きで、彼の別荘で1ヶ月暮らす。11月今度はルーとパウル・レーがベルリンで 同棲を始める。ふられたニーチェは1883年「ツァラトゥストラはかく語りき」の一部を10日間で書きあげた。
1889年ニーチェは発狂し10年間狂気のなかで行き続けた。ルーはニーチェの恋人だったということで彼女の著書は抜群に売れた。
パウロ・レーは5年間同棲したが性的関係はなく「レー兄さん」とよばれた。ある日ルーからアンドレアスと結婚すると告げられ、 姿を消し、4年後ルーとの思い出の場所へ行き自殺する。
アンドレスも一目ぼれでプロポーズして断られるとナイフで自殺をしそうになる。ルーは情熱にほだされ結婚。だが「セックスは しない。他の男との自由な交際を許す、事後とは自由に続けさせる」という条件をつけた。
ルーが36歳のとき出会ったリルケは 22歳の無名の詩人であった。リルケとの関係はセックスをともなう大人の関係だった。その後4年続いたがリルケの病的な神経質 にうんざりして別れる。
ルーの犠牲者たちは、その後もえんえんと続く。
(参考:世界史悪女スキャンダル:桐生操著にちぶん文庫)

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