芥川龍之介の愛と恋と結婚

投稿者:

芥川龍之介(1892-1927)

彼は牛乳販売業を営む父親新原敏三、と小心で内気な母親(ふく)とのあいだに辰年、辰月、辰日、辰刻に生まれた。父親は43歳、母親は33歳のともに厄年だった。大厄の子で形式的に捨て子とされた。生まれて1年で足らずで母親が発狂、 約10年狂人として生き続けた。父親はふくが亡くなるとふくの妹ふゆを後妻に迎え、彼は正式にふくの兄の養子となった。母の実家は十数代続いた士族で龍之介の義父母は文学や美術を好み、彼に影響を与えた。芥川家で龍之介を愛したのは、伯母のふきであった。 一生独身で通したこの伯母に彼は可愛がられた。
彼の初恋は実家新原家の知り合いの家の娘(吉田弥生)で、順当なら結婚にまで進むところ、芥川家(特に愛する伯母)の反対でこの恋は実らず彼女は海軍士官と結婚する。龍之介はこの恋にきわめて真剣だったので破局は深い痛手を 与えた。
龍之介23歳小説を書く、「ひょっとこ」「羅生門」。夏目漱石の木曜会に入る。24歳の若さで文壇デビュー。大正5年塚本文子と婚約。大正7年2月2日正式に結婚する。結婚式は親族縁者だけで質素に行なった。 鎌倉に新居を借り一年あまり過ごした。彼の生涯でもっとも幸福な時代であった。
大正10年毎日新聞の海外視察団として上海にいく。乾性肋膜炎で上海の病院で3週間入院。4ヶ月後帰国。大正11年次男が生まれる。家族は 養父母、伯母が同居する息苦しい家庭だった。彼の健康は「神経衰弱、胃痙攣、腸カタル、ピリン疹、心悸昂進」と友人の手紙にかいた。 昭和2年7月24日睡眠薬を致死量のんで人生の膜を閉じる。
(参考:芥川龍之介:笠井秋生著清水書院

返信を残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です